プロフィール

茨城県で自然農を営む「やさいのこころ」と申します。

以前は会社勤めをしており、週末のみ畑仕事をしていましたが、2022年に脱サラし、現在は約4反(4,000m2)の畑で自然農を実践しています。中学校の運動場くらいの広さがあるので、一人で手作業でやるには、なかなかの広さだと思います。

私がどのように自然農と出会い、なぜ会社を辞めてまで自然農に取り組んでいるのか、紹介します。

初めての家庭菜園

今から15年以上前、食材として余ったニンニクを自宅の庭の片隅に埋めたのが初めての栽培体験です。

今となっては、なぜそのような行動をとったのか思い出せないですが、ニンニクから芽が出て成長していく姿を見て、「植物って生きているんだな」と妙に感動したのを覚えています。

その後、もう少しまともに家庭菜園をやろうと思い、庭の一角に2m2ほどの小さな畑を作りました。土をしっかりと耕し、牛ふん堆肥などの肥料を入れ、土作りは教科書どおりです。

そこに、ナス、トマト、トウモロコシなどいろいろな野菜をところ狭しと植えました。異なる作物の相性を考え、コンパニオンプランツ的なものも意識しています。

すると意外にもあっさりと立派な野菜ができました。生意気にも「なんだ、家庭菜園ってこんなに簡単なの?」と思ってしまいました。

2年目は少し面積を増やして、イチゴやキュウリなど品目も追加しましたが、なんだかモチベーションが下がってきていました。

そんな時、あの出来事が起こったのです。

東日本大震災の経験

そうです。3.11の東日本大震災です。私の住む地域では震度6強の揺れがありました。幸い家屋等には大きな被害はありませんでしたが、水道、電気などのライフラインはストップし、スーパー、コンビニから食料が消えてしまいました。

ここからサバイバルが始まります。水は備蓄がありました。しかし食料はわずかなインスタント食品以外、備えがありませんでした。家の中で毛布にくるまり、ひたすら空腹に耐えていました。

庭の畑は3月ということもあり、食べられる状態の作物はほとんどありません。「畑をやってても、こういう時に役に立たないと、全然意味がないじゃないか!」と、わずかばかりの収穫に傲慢になっていた自分の浅はかさを大いに悔いることとなりました。

食料を生産することの大切さを思い知った瞬間でした。

自然農との出会い

震災後の混乱がひと段落し、家庭菜園の情報を集めていた時、本屋である一冊の本と出合いました。

徳野雅人著「野菜の自然栽培入門」です。

農薬はもちろんのこと、肥料を使用しないし、耕すこともしないで、野菜を育てて収穫できるというものでした。

当時、肥料を入れないと作物が育つ訳がないと信じていた私にとって、これまでの常識が覆され、新たな視点から野菜の栽培に取り組むことの可能性を垣間見た瞬間でした。

しかも、無肥料で育てた野菜は、雑味や苦みが少なく、非常においしいとも書かれているんです。

畑に何も入れずに、耕しもしないで、通常よりもおいしい野菜が本当に採れるなら、これほどいいことはありません。ただ、私は半信半疑でした。そんなにうまい話があるのだろうかと。

私は自分の手で確かめたくなりました。

週末農家の試行錯誤

震災の経験から、もっと大きな畑で栽培したいということで、地域の市民農園の一区画(約30m2)を借りました。そして、ここで徳野氏の自然栽培の実践がスタートです。

また、1か所だけだと再現性が得られないと思い、別の場所でも試みました。知り合いの家の裏の空き地を借り、草ぼうぼうのところを開墾し畑にしました。

当時、会社勤めをしていたので、畑に行けるのは週末だけです。時には2か所の畑を高速道路で行き来することもありました。

これらの畑で無肥料のまま種を播いたり、苗を植えたりしましたが、ほとんどまともに育たず、そのまま消えてしまうものもありました。

弱々しい芽

周囲の区画の野菜たちは、しっかりと耕された土に肥料を施され、どれも立派に育っています。そんな中で自分の畑の弱々しい野菜たちの姿を見て、とてつもなく馬鹿げたことをやっているような気がしてきました。

他の人々が収穫を楽しんでいる中、自分はただ自分の選んだ道に取り組み、成果を見出せないでいる現実に、自信を失いそうです。やはり無肥料では無理なのかと何度もくじけそうになりました。

しかし、徳野さんができているのだから、何かできる方法があり、それをまだ自分が見つけていないだけだろう、という思いがありました。

それと、他にも同じようなことをしている人がいないか調べました。その時、福岡正信さん、川口由一さん、竹内孝功さんなどの著名な方を知り、徹底的に研究しました。

ここで、川口さんの自然農と出会うことになります。

草や虫を敵とせず、畑の中でいのちを循環させ、育てる作物もその循環の一員とする。その循環が自然に始まるには、時間が必要でした。

刈った草を敷き、それが朽ちて土に還り、目に見えない生き物たちの活動によって、養分が作物に供給される。それを信じ、ただひたすら先人たちの教えを実行していきました。

数年試してみて、やっぱり無肥料なんて無理なのかなと思い始めたころ、なんだか前年より育ちが良いミニトマトがあるのに気づきました。これはひょっとしてと思い、大切に育てていたら、青い実が成り、熟し、かわいらしいトマトを収穫することができました。

食べてみると、濃い旨味とほどよい酸味で今までに食べたことがないような味わいです。「これが自然農の力か」と本当に感動しました。

その後、スナップエンドウや大根など、いくつかの品目の野菜は収穫までできるようになり、どれも市販のものとは比べ物にならないおいしさでした。

この時に採った種は、毎年栽培と採種を繰り返し、現在まで引き継がれています。

脱サラ就農

こうして、少しずつ収穫が得られるようになってくると、栽培がどんどん面白くなってきました。

栽培面積を拡大するために何度も開墾を経験しました。栽培技術が向上し、開墾してすぐの畑でも収穫できるようになりました。

そのようなことを繰り返すうちに、自然の循環の中で作物が得られることの偉大さに気付き始めました。

自然と自分は確かにつながっているという感覚です。自然は太陽のエネルギーや、遥か昔に宇宙で生まれた物質により成り立っていることから、宇宙とつながるとも言うことができます。

そのような感覚を得ると、会社員として毎日勤めに出ることに違和感を覚え、もっと自然農の世界にどっぷりとつかりたいという思いが大きくなっていきました。

こうして、2022年に脱サラを決意し、就農することとなりました。今では、年間30品目以上の野菜を育て、販売しています。

天の川

このサイトを立ち上げた理由

近年、食料に関する不安の声が大きくなっています。

  • 台湾有事をはじめとする国際紛争によりシーレーンが封鎖された場合、食料自給率の低い日本では食べるものがなくなってしまうのではないか。
  • 海外からの輸入食料は、日本国内や諸外国では許可されていない農薬や遺伝子組み換え技術が使用されているのではないか。
  • 円安に伴う輸入物価上昇により、肥料や農薬といった農業資材が高騰し、国内の多くの農家は事業を継続できないのではないか。

自然農はこれらの課題を解決できる可能性があります。畑に何も持ち込まず、自然の営みの中で自らの食料を確保できる。このような状態を築けば、食料に関して絶対的な安心を得ることができます。

ただし、ごく一部の人だけが自然農を実践しても効果は薄く、自然農に興味を持った人、自然農を始めたいと思った人ができるだけ多く実践していくことが重要であると考えています。

そのために、当サイトでは

  • これまでに私が学んだ自然農に関する知識をまとめること
  • これから自然農を始めようとする方が実践できる情報を提供すること

を目指して運営していきます。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

もし、あなたが自然農に少しでも興味を持っていただけたなら、一緒に自然農を始めませんか?自然農を通じて得ることのできる、すばらしい体験をぜひ味わっていただきたいです。

そして、私たちだけでなく、子供や孫の世代が安心して暮らせる日本の未来を築いていきましょう。